「一億総中流」とかいう言葉が死語になって久しいですが、昔は日本人の多くの人が中流階級でそこそこの生活ができるようになったことを表した言葉です。
そこそこに家庭を持って、そこそこに旅行や趣味をして、そこそこに生活できる・・・みたいな。
ご存知の通り、現在では平均的な日本人ではこのような生活はまず無理で、食って寝て働いて、くらいができれば御の字くらいな状況です。
「一億総中流」というのが本当に存在したのならば「一般人」というカテゴリでも良かったかもしれませんが、現代では「一般人」と言われればカツカツで生活しているというある種否定的なニュアンスすらあります。
マクロな視点で「日本人全体としてどうすればもっと良い生活ができるのか」とかいう話につながりそうですが、そういう難しい話はテレビの無責任なコメンテーターにお任せするとして、塾講師らしく「一個人が抜きんでるにはどうするのか」という話をしようかと思います。もちろん小中高生とその親向けにね。
「共通テストが難しくなりすぎ!けしからん!」記事に思う真逆のこと
1月下旬になると大学入試の共通テストの結果がだいたい出て、「問題が難化した」「長文すぎ!」とかすごくどうでもいい記事がでてくるものです。
あげくの果てには「受験生が共通テストを避けるようになるのではないか」とか言い始める。
そういう受験生は昔から相当数いました。
「センター試験が範囲広いし科目多いから、自分は私大一本」という人が。
まあ受験戦略としては間違いではないのですが、「なんだかなぁ」と思います。
「難しいから」「範囲が広くて大変だから」とかいう理由で私大一本って言っているようにも思えるのですよね。
もっと言えば「苦労したくないから」私大一本みたいな。
学びたいこと、行きたい学部学科があって「その私大一本」なら分かるのですが。
共通テストになって難化・長文化したのはその手の「特にやりたいことないけど、お手軽に大学行きたい」みたいな甘々な考えの受験生をもっとはじくために難しくしたのではないかと思うのですね。
長文化すれば簡単に難易度上がりますからね。少なくとも「お手軽に最小限の努力で大学に行く」という層にとっては。
「いい生活をしたいのなら、共通テストくらい超えてこないと仲間に入れてあげないよ」というような高学歴社会からのいじわるな声が聞こえてきさえしそうです。
別に必ずしも「やりたいことがある人でなければ大学に行くべきではない」というわけではないと思うのです。
私も偏差値と得意科目の兼ね合いだけで大学選んだし。
でもやりたいことが特にないのであれば、大学受験に挑む以上最低限「苦労してなるべく偏差値の高いところに行ったほうがいいよ」とも思うのです。
なぜならば、苦労をしないで易きに流れれば、大学受験でも大学受験以外の分野でも「一般人」まっしぐらです。
「一億総中流」時代の「一般人」ならいいですよ?そこそこ楽しく生活できますからね。私だったら間違いなく努力しません。
でも、現代のカツカツ生活の「一般人」です。
どこかで奮起しなければ、カツカツの現代の「一般人」になることは避けられません。
ゆえに、大学受験とかいう人生の大きなイベントたりうることに挑戦するわけですから「難しいから共通テストは避ける」とかいうのはどうかと思うのですよね。大学入学後、すごい苦労する予定です!だとかカツカツの「一般人」生活でいいのなら話は別ですが。
大学受験に限りません。
高校受験でも、中学の定期テストでも、なんなら英単語を覚えるみたいなことでも。
どこかで易きに流れれば、それだけカツカツの一般人生活が近づくわけです。
年を追うごとに「一般人」は貧しくなっていきます。
カツカツが無理無理になる日もそう遠くないかもしれません。
これを避けるためにはそう難しいことではありません。
なるべく早い時期から努力すれば良いだけのことです。
無駄なyoutubeの視聴をやめるとか、何も勉強しなかったのを毎日3分でもいいから勉強するとか、5分だけ体力づくりをしてみるとか、50回だけ多く素振りを多くするとか。
自分にとってやったほうがいいのだけど面倒くさいことを少しずつ始めてみることです。