みんな国語は苦手ですか?
私は超が付くほど得意科目でした。
高校受験では満点だったのです。なぜ満点だったのかわからない。勝ちに不思議の勝ちあり。
他教科なら、なぜこの点数になったのかよくわかったのですがね・・・
そして大学受験では現役時センター国語が128点(200点満点、100点満点の価値に換算すると64点)だったし、浪人時は108点!(200点満点、100点満点の価値に換算すると54点)。
このように1年間勉強して、点数が20点下げることができるくらい得意科目だったのです。
2次試験では解答欄を埋めるのが目標!そしてできました!
すごいだろ!
賢明な子たちはこういう受験生になってはいけません。
賢明な親たちは、子どもはたいてい訳も分からず国語を解いているので気をつけましょう。
さて、国語が本当のことをいうと得意科目だったというのはウソで、実際には苦手だった私ですが国語を教えるようになると分かったことがあります。
『ひろゆきってスゲーな!』
基本その1・国語のテストでやってはいけない解き方!『それってあなたの感想ですよね?』
みなさんは、『ひろゆき』さんって知っていますか?
かの有名な2ちゃんねるの創始者で昨今なにかと話題になっている人です。
あの空気を読まない発言(一周すると空気を読んでいるのですが)が参考になるので、彼のyoutubeはたまに見るのですが、有名な動画に『それってあなたの感想ですよね?』というものがあります。
討論の相手が根拠が薄い非常に主観的な意見を言ったときに炸裂する必殺技みたいなフレーズです。
『それは「明らか」ではなくてあなたの感想ですよね?』
詳細はyoutubeで検索してください。
じつはこの短いフレーズに国語テストの解き方の基本がつまっています。
国語のテストでやってはいけない解き方として、『感想で解いてはいけない!文章に書いてある通りに書け』というものがあります。
読解力?語彙力?そんなものの前にまずこれだ!
例えば、以下のような文章があったとしましょう。
普段、私たちはレタスの根の部分を食べている。じゃがいもは葉っぱの部分を食べている。
そして問題が以下。
普段、私たちはレタス・じゃがいものどの部分を食べていると言っていますか?文章中から抜き出しなさい。
答えは、レタス=根、じゃがいも=葉、です。
『いやそんなわけないだろ!明らかにレタスは葉だし、じゃがいもは根の部分を食べてるだろ!常識ある?』
というのが普通の反応ですが、それは明らかではなくてあなたの感想なんです。
実際、普段の生活では私もレタスは葉を食べるし、じゃがいもは根を食べます。
でも国語のテストでは違うんです。
世の中の常識、感想、その他もろもろの当たり前のこと以前に、国語のテストでは文章中に書いてあることが絶対正義なのです。
あなたが普段思っている明らかは、国語のテストにおいてはあなたの感想なんです。
よって、筆者が『レタスの根の部分を食べている。じゃがいもは葉っぱの部分を食べている。』と書いているのだから、正解はレタス=根、じゃがいも=葉、です。
国語のテストの解答とは、文章中に根拠がなければいけません。
常識的には『レタス=葉、じゃがいも=根』だとしても、それはあなたの勝手な思い込みです。
もしこの文章が地球以外の『レタス=根、じゃがいも=葉』というような作物が育つ星で書かれたものだったら?
まあ、通常ありえないとも思いますが、絶対否定できるわけでもありません。
つまり『レタス=葉、じゃがいも=根』というのは明確な根拠がない。何より文章に書いていない。つまり明らかではない。
一方で『レタス=根、じゃがいも=葉』は明確に根拠があります。文章に書いてあるから。
このように、国語のテストを解くときは、自分の感想・思い込み・常識と戦いながら解かなければなりません。
始めは『いや・・普通レタスは葉だろ・・・いや・・・でも文章にはレタスは根と書いてあるから根なんだよな』と悩みながらやるかもしれませんが、そのうち『文章にレタス=根と書いてあるから、答えは根だろ?簡単!』とならなければなりません。
国語のテストを解くときは常に『ひろゆき』さんを思い浮かべて、『それは明らかではなくてあなたの感想ですよね?』と突っ込まれないような解答を心がけてください。
基本その2・国語のテストは超簡単!文章に答えはある!
数学は公式を知らなければ解けません。理科・社会も新しい知識を覚えなければ解けません。
テストに教科書や参考書を持ち込めるわけでもないですからね!
でもみんな聞いてくれ!国語は違う!
(いや、教科書や参考書は持ち込めないよ?)
国語は答えが文章中に書いてあるんだよ!(ナッ!…ナンダッテー!?)
国語のテストの設問を見ればわかると思いますが、多くが以下のようなものです。
- 『文章中から抜き出せ』
- 『文章中の言葉を使って答えなさい』
- 『文章の情景として正しいものはどれですか?』
- 『筆者(つまり文章)はなんと言っていますか?』
- 『筆者(つまり文章)の考えとして間違っているものは?』
- 『文章を要約しなさい』
全部、文章を使って解答しろと言っている。つまり答えやヒントが文章中にあるのです。
究極、勉強しなくても解ける。
忌まわしい暗記物はせいぜい漢字だけです。
配点の大部分を占める読解は暗記するものでもありません。訓練は必要ですけどね。
基本その1とも絡みますが、国語のテストは書いてある文章が絶対正義なのです。
ゆえに『文章に答え書いてあるからちゃんと探せよ?』というテストだと思っていいでしょう。
基本的に問題と文章を何度も行き来して、根拠を探すのが国語のテストです。
例を挙げましょう。
普段、私たちはレタスの根の部分を食べている。じゃがいもは葉っぱの部分を食べている。
今度は選択問題にしましょうか。筆者の考えとして正しいものはどれですか?
- 私たちはじゃがいもの葉を食べるが、葉には皮がついていないので、皮をむく必要はない
- レタスの根はまずい
- 私たちは、レタスは葉の部分を食べていると思い込んでいる
- 私たちはじゃがいもの葉の部分を食べている
さあ間違い探しです。
①について、文章中で『じゃがいもは葉っぱの部分を食べている』と書いてあるので、前半部分は正しいですが、「葉には皮がついていないので、皮をむく必要はない」という後半部分は文章中で特に書かれていません。
常識的には葉には皮はついていないので皮はむく必要がなさそうなものですが、それは私たちの勝手な感想です。
筆者の住んでいるところではひょっとしたら、じゃがいもの葉には皮がついているかもしれません。そうじゃないかもしれません。
いずれにせよ、葉に皮がついているかどうかなど文章で書かれていないので、①は正しくない。
②も文章中にレタスの味について書いていません。レタスの根はまずそうですが、これも国語のテストにおいては私たちの勝手な感想です。よって②も正しくない。
③も特に文章中に言及がありません。筆者が『レタスの根の部分を食べている』と書いているだけで、筆者の住んでいるところではそもそも『レタスは葉の部分を食べる』という意識すらないかもしれません。『葉の部分を食べる』という意識がなければ思い込みようもありません。もちろん、実際には筆者は『私たちはレタスの葉の部分を食べていると思い込んでいる』と考えている場合もあります。しかし、いずれにせよ推測かつ勝手な感想です。
④について、私たちは現実には普段じゃがいもの根の部分を食べています。しかし!これは私たちの勝手な感想であり、文章には『じゃがいもは葉っぱの部分を食べている』とまさに書いてあるので、④が正解です。
さて、問題を解く最中おそらく選択肢と文章の間を何回も行ったり来たりしたでしょう。
『あれ?そんなこと文章に書いてあったっけな?』というのを少なくとも4回はやったはずです。選択肢の1文・1語、文章とにらめっこし、微妙な差がないか確認したはずです。
小さい子がやる絵本の間違い探しのようなものです。
『あれ?このキリンは目を閉じてたっけな?』とか探すのと同様です。
こういうことを国語のテストを解く際に重要な『精読』といいます。
感想排除・精読しても国語のテストが解けるようにはならない
さあ、国語のテストの解き方の超基本がわかったところで、実際に国語の成績を上げていこう!
と言いたいところですが、国語という教科はそれほど単純でもありません。解き方を知っていても実際解けるかどうかというのはまた別問題です。
38×57の解き方を知っていても、単位変換がわからければ算数の文章題が解けないのと同じ。
まずは苦手の原因から。
語彙力不足
とりあえず、言葉がわからなければ文章なんて読めるわけがないのです。
「便益」という言葉の意味を知らずに「その行為の便益とはどういうことでしょうか。」という問いに答えられないのです。本文中ならまだしも設問で知らない言葉が来たら致命的なわけですね。
いわゆる語彙力を増やしましょう。そして言葉の意味を予想する力をつけましょう。
基本は漢字練習と読むことです。
聞かれたことにまっすぐ答えられない
国語に限らないのですが、聞かれたことに素直に答えられない、というのは致命的です。
算数なら「何kmですか?」と聞かれて「4500m」とか答えてしまうのもそうです。
国語なら「権蔵君が遊びに行けないのはなぜですか?」と聞かれて「権蔵君が勉強をしていた。」と答えるのもそうです。
聞かれたことに素直に答えるなら「4.5km」であり、「権蔵君が勉強をしていたから。」と答えるものです。
答え方、と言い換えてもいいかもしれません。
接続詞的なものを読み飛ばしている
接続詞的なものとは、文章と文章をつなぐ役割をしている言葉です。
「しかし」とか「同様に」とか「なぜならば」とか。
例えば『先生が来た。ドア開けなかった。』という言い方は3歳児くらいの言い回しで、もうちょっと洗練されてくると『先生が来た。でもドア開けなかった。』となるでしょう。
文章を読むときこの「でも」が抜けたとしたらどうでしょう。
文章の意味合いが変わってきます。
当然、問題への取り組み方も変わります。
国語はなんとなくフィーリングで解くと思っている
国語が平均点くらいの子に多いのですが、「国語はフィーリングで解く」とか言う子がいます。
何を隠そう、私がこういう子だったわけですから、満点でも50点でも理由がわからないのです。
冒頭述べたように、「感想」で解いてはダメなんですよ。
精読することの訓練不足
同様に国語が平均点から90点くらいの子にもいるのですが、1文・1語にこだわって読むということがどういうことかわかっていません。
もっと言えば会社で働いている人でもこういう人ばかりです。私もそうでしたし。
先ほど述べたように「精読」とは「間違い探し」です。
目を凝らして、何度も同じところ往復してよく読まなくてはなりません。
国語の基本をきちんと押さえよう
今挙げた苦手の原因は、言い換えれば国語の基礎ができていないということです。
国語の基礎と国語のテストを解く基礎はまったく別問題です。
国語の基礎とは今見たような語彙力だとか接続詞だとか文章の意味を理解するために必要な話です。
この国語の基礎があったうえで、そして解き方を知って国語のテストが解けるわけです。
そんなに国語のテストを解くのも簡単ではないのですよ!